「観察する主体」について

(メールによる投稿)
・「観察すること」に意を注いで瞑想したところ「観察する主体」の存在が明確になった(あるいは生まれた)。
・それがある時とない時の違いも明確に感じられるようになった。
・それを目覚めさせておくように試みることが日常生活の中で意識的にできるようになった。(いつも成功するわけではない。)
・観察してみると、自分の精神的活動が、いかに多くの怒りや欲に占められているか自覚できた。
・特にそれらが大きい時ほど「観察する主体」を目覚めさせられない。あるいは観察対象が、それらに覆われてしまっている。
・生まれ持って、こういう事ができる人もいる(の方が多い?)のではないかと思った。
・意図・行為・感情(気分・感じ)を観察する、言い換えれば、起点・体による表現・その結果の反映?これで観察することが望ましい対象は網羅できているか?
・当初は後二者だけだったが、意図を自覚することは大切ではないかと思っている。
・観察の細かさをある程度意図的に変えられるようになった。 心の虫眼鏡や顕微鏡を使って観察しようと思うことで。
・観察の頻度もある程度意図的に上げられるようになった。