五蘊について雑感

以下、ツイートを移しました。

色が感受された結果には自分の感覚器官の特徴が反映されているはずです。
たとえば視力が良ければ粒度の細かいデータ(視神経を流れる電気信号?)に変換されるはずです。
ここに(身体的)個性の現れがあるはずです。

つぎにそのデータをイメージに変換するときに個性の現れがあるはずです。
蛇を恐れる人の方が縄を蛇とイメージ化する可能性が高そうだからです。

その後に(これを前者と分けるか微妙な感じがするのですが)そのイメージにどのようなイメージをまとわせるか(紐づけるか)というプロセスにも個性が現れるように思います。
たとえば食用肉をみて「おいしそう」というイメージをまとわせるか、別のイメージをまとわせるかは人によって異なるからです。

つぎにそのイメージをどのように言葉化するかに個性が現れると思います。 ボキャブラリーの多寡や習慣的な物事の捉え方やその時の気分などが影響していると思われるからです。
たとえば他人の不機嫌そうな顔をみて「怒っていそう」と言葉化するか「体調悪そう」と言葉化するかは先ほど挙げた要因に影響を受けるからです。(あまりフィットしない例ですが時間の都合で…)

これら「個性の現れ」はほぼ無意識に行われる事が多いように思いますが、集中力を高めて観察すれば意識化でき、それによって自覚的に介入できるようになるように思います。

そしてこの介入によって抜苦与楽を進めることも瞑想のひとつの目的・効果のように思います。

それにしても上記した「個性」とは何なのでしょう、身体的個性を除くと、ある説によれば「想」のように思いますが…。
別の説によれば「行」のようなのですが、落ち着いて学ぶ時間がありません…。