瞑想記録等

・観察しているつもりで意を掴んでいないか細心の注意を払う。
・「心を解き放ちながら」は、条件から離れるということではないか。
 ・そう思ったら色々な条件と、それに応じて変化する変化の間に距離が生まれ、それら条件がありありと感じられた。
 ・条件の変化量1に対する変化量が減った感じ。
・「離貪」では、瞑想開始時には掴みに行っていて離れがたかったイメージ・欲が、より生々しく・細かい粒度で感じられることで、もはや掴みにいけなくなっていた。
・アーナーパーナーサティによる12の考察は回路の調整ではないか。
・「観察しているつもりで妄想していないか」という表現と「観察しているつもりで意を掴んでいないか」という表現。表現者の経験の変化(当然言語化能力も変化している)。
・瞑想によって観察の粒度が細かくなる。これを「分析的になる」と言うのか。