慢について

慢について、それをモチベーションにすることの是非について考えていた。
(「私はこれこれの点で優れているので頑張ろう」的な感じの是非)
その時考えたことをメモしておく。
・概念の集合体を一つの概念として観察している時点で観察力が足りていない。
 例えば、慢は、ある特性(という概念)と優劣(という概念)を結びつけてイメージする時に発生する。
 具体的には、「脚が速い」と「優れている」という概念を結びつけている等。
 (今は「脚が速いことは良いことである」という概念(価値観)については、別途考えることとしておく)
 その結びつきを解くと、慢は滅する。
・また「ある特性」という時点で、それは仮構された概念である、という観点も取ることができる。
 具体的には個々の現象があるのみである。
 複数の現象を結びつけて、特性としてイメージしている。
 その時点でそれは妄想でしかない。
 したがって、それを経験することには意味がない。
 むしろ、そのとき為すべきことから意識を外らせる要因になり、巧みさを損なう恐れがある。
・一般的に言って、ネガティブなイメージは心を濁すように感じる。
 慢が生じる時、劣のイメージが伴うのであれば、そのイメージが心の透明さを損なうように感じられる。
 喩えるなら血管網を流れる液体が濁る感じ。
と、色々考えて、「慢をモチベーションする」という考えにはどちらかと言えば、今は否定的。