瞑想記録(2019/09/01 25:00)

・やはりピーティを感じられなかった。
・主に食生活に原因があるように思われた。
・音を聞いて瞬く間に思考・イメージが展開する様子を感じた。
・印象では0.1秒で10個前後。
・個々の思考・イメージを理解できるほど集中できてはいなかった。
・常にこれほどのイメージが展開されているとしたら、ある種の存在の在り方は、自覚がないだけで、途方もないことだと感じた。
・この、自動で展開されたイメージを現実だと理解することのみが、その種の存在に許された唯一の存在の仕方だとしたら、自他の隔絶は驚異的な有様だと思った。 ・感覚機能が対象を感覚しに行き、それと癒着しかける様子を観察することが最近ある。
・「感覚しに行き」と感じるということは、その前は中立的な状態なのだろうか?
・酩酊したいがために、日中耳にした旋律を、心の中で繰り返していることに気づいた。
・言葉や思考に酩酊することもあるように思われた。
・感覚に酩酊してはいけないとも思った。
・関心の網の目を細かくすることで、より微細な観察ができるように思われた。
・苦しみから逃れることを最優先にしている傾向に気づいた。
・昇華できることが、人間の、人間としての特徴ではないかと思った。
ヴィクトール・フランクルの思想を思い出した。
・苦しみの原因を「外」に求める傾向に気づいた。
・苦しみから逃れるという傾向には「苦がない状態がある」という前提がある。
・50分の瞑想で感じたことを、他者への配慮は最低限にして、言葉にするという行為に、同じくらいの時間がかかってしまう。
・道を踏み外さないことを主な目的として言葉にしているが、この時間を瞑想に充てた方がいいのだろうか。