「呼吸によるマインドフルネス」ステップ16

瞑想が終わるまで、足が痺れていることに気づかないことがあるが、これは良い傾向だろうか、あるいは逆だろうか。

ステップ16「常に手放すことを観察しながら〜」について。
常に(可能な限り素早く)手放すことは軽さや明るさをもたらすように思われた。
以前にも似たようなことを考えたが、事象を握り締めようとすることは二重の意味で無理筋。
そもそも事象は無常。しかも、もし事象が必ずしも無常ではなかったとしても、握り締めたところで定位できない。

最近耳から離れない楽曲が幾つかあった。
瞑想中も思い浮かんだ。
アップテンポの曲は心を回転させるために、スローテンポの曲は心を落ち着かせるために、思い浮かんでいるように感じられた。
つまり心の自律的な調整のように感じられた。
同時に「調整しなくては」という強迫的なイメージに気づいた。
その後、心が静まり、楽曲もほとんど思い浮かばなくなった。

追記
私の場合、「手放さない」「握り締めようとする」という心の動きの根元には、不合理な・原始的な・呪術的な信念のようなものが横たわっているような感覚がある。
一方、「手放す」ことは波乗りのような感覚。