「知足」を例にとった法の正しい理解・実践について(読書メモ)

最近瞑想に偏りがちでバランスを欠いていたように思ったので、ポー・オー・パユットー師の『テーラワーダ仏教の実践』を一部再読しました。
法の正しい理解の仕方、用い方のご説明に(毎回のことですが)特に感銘を受け、機根の及ぶ範囲で見習いたいと思いました。
また、仏法に限らず、様々な知に対して応用すべきアプローチの仕方だと思いましたので、私が読み取った内容を以下に備忘も兼ねてメモしました。誤読等があるかもしれません。

・善法でも、間違って使ったり、不完全なまま使うと、害が大きい。
・「不完全なまま使う」とは、法の構成要素を揃えずに断片的に使うということ。
・法は体系として、涅槃への道を示している。
・個々の法は体系の中で互いに結果を送り合う。
・個々の法はより上位の法に従う。
・例えば「知足」を文字通りに「満足」とだけ理解することは学問的な理解ではない。
・ただ「知足」だけを用いると、満足し怠惰で終わってしまうが、ブッダはそのような「知足」は説いていない。
・経典を見ると「生命を維持する物質に知足する」と述べられている。
・また対として「善法に知足しない」とも述べられている。
・「知足」を例にとると(1)知足の対象が何かを明確にする、(2)対になるものを明確にする、(3)目的を明確にする、ということが、それを正しく使うために重要 。