仏法・瞑想が智慧を育む過程

仏法に従って生きることや、瞑想が、智慧を育む過程が見えてきた。
事実と思考(妄想)を分け、それら(特に事実)を分析的に言語化する習慣が智慧を育む。
例えば、業務中に私用スマホを使う行為に怒りを感じた時。
それを手放すために次のプロセスを踏む。
怒りという感情と、それを生み出した六根への刺激を分けて理解する。
具体的には「業務中に私用スマホを使うべきではない」という意への刺激と、当該行為の視覚刺激が怒りを生んだと理解する。
それを手放すために、前者を放棄する。
すると怒りが収まる。
この分析習慣が外部の物事にも向けられることで智慧となる。
また、合理的な思考を妨げる気持ち(焦りや恐れ)も、このプロセスで手放されることによって、的確な判断を下し易くなる。
なお、上記の怒りの例は実際にあったことだが、怒りが収まってみると、業務に集中できずスマホが頻繁に気になる状態を気の毒に感じた。